仕事盛りの40代で脱サラをしたai(アイ)の詳しいプロフィール(経歴など)
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この記事は当ブログの管理人ai(アイ)のプロフィール(生い立ちや経歴など)をまとめたものです。
今日は運営しているブログに詳しいプロフィール記事を追記しよ。
— inoue@atsushi358 (@ai1974s) 2018年9月1日
ブログに詳しいプロフィール欄作るのって意外と楽しいんだよね。
それってやっぱり「自分が好き」ってことなんだろうな。
それに自分のことが好きじゃないと何やってもうまくいかないと思う。
他人にどう思われようが「自分が好き」
↑↑ということで、これを本日(2018年9月2日)tweetしたので、これから有言実行します!
- ai(アイ)の詳しいプロフィール(生い立ち)
- ai(アイ)の詳しいプロフィール(幼少期)
- ai(アイ)の詳しいプロフィール(少年期)
- ai(アイ)の詳しいプロフィール(青年期)
- ai(アイ)の詳しいプロフィール(成人)
ai(アイ)の詳しいプロフィール(生い立ち)
そこからかよ!って思われるかもしれませんが興味のある方だけお付き合いいただければ幸いです。
1974年10月
埼玉県川越市で生まれました。
生まれてすぐに両親が離婚という波乱の人生がスタートします。
そのため僕は父方の祖父母の養子として育てられます。
波乱の人生の幕開け
我が家は僕が生まれてきた昭和49年まで自動車工場を経営していた祖父のおかげで、とても豊かな生活を送っていました。
しかし、当時深刻だった「オイルショック」の影響をまともに受けて、我が家の会社は残念ながら倒産し、生活は一転し貧乏のどん底に。
ai(アイ)の詳しいプロフィール(幼少期)
そんな我が家ですが、祖父母と父の妹と小さな借家住まいで質素ながらも、祖父母たちの優しい愛情を注がれながらすくすくと育っていきました。
活発で外遊びが大好きで、幼稚園時代から補助輪なし自転車で近所を走り回る元気な子供でした。
当時の子供たちって、今と違って外に遊びに行くのも親と一緒になんてことはまずなく、自由気ままに遊び歩いてたんです。
遊び場も近所の公園だけでなく、稲刈り後の田んぼや森や林や川など、ありとあらゆる場所が遊び場だったので、今の住まいの環境もそれに近いことを考えると。やっぱり子供の頃の影響もあるのかなって思います。
当時、苦手なことは水泳(これは川でおぼれた経験が影響)でした。
今は海が大好きでよく遊びに行きますが、水泳だけは未だに苦手です。
当時、僕の周りで流行ってた遊び(幼稚園時代)はスカートめくりw
先生のスカートをめくるとポイント高かったのを今でも覚えています(笑)
ai(アイ)の詳しいプロフィール(少年期)
幼稚園時代に活発だった僕は、そのまま元気な少年時代を過ごします。
小学校に入ると、ありとあらゆるスポーツを経験(水泳以外)して、高学年になってサッカークラブに落ち着くと、サッカー少年としての毎日を楽しく過ごす日々になりました。
我が家は貧乏だったので、ユニフォーム代や合宿費用なども色々かかったと思いますが、大変なそぶりも見せずに、好きなことをやらせてくれた祖父母たちに本当に感謝です。
↑↑もうずいぶん前の写真だからモザイク処理はしません。めんどくさいしw
そしてこの当時にあの名作「キャプテン翼」が始まりました。
なので当時もすごいサッカーブームが来たので、サッカーやってた僕らは正直、女子たちの注目の的で、そこそこ「モテキ」到来でした。
中学校に入るとそこは毎日が戦場だった!
正直、僕らの中学校時代は当時「ビーバップハイスクール」というヤンキー漫画全盛時代でした。
戦場なんて大げさに聞こえるかもしれませんが、今では考えられないようなことが当時ではありました。
校内でバイク乗り回す、ガラスは割れてないところが珍しい、学生服は短ラン、長ラン、ボンタンが当たり前(わからなかったらググって)。
先生が暴力振るったら問題になる今、当時は先生に殴り掛かるなんて当たり前。
何だったら僕の通ってたヤンキー中学は先生もやばい奴らばっかり(汗)、見た目もそうだが性格もヤ〇ザかよレベルが多数いたもんです。
なので毎日が生存競争!スキを見せたらやられる時代だったので、生き延びるために頭も使ったし体も使って激動の時代を乗り越えてきました。
かろうじて高校入るも勉強せずにバイト三昧、留年くらって退学する
中学校時代のヤンキー色を色濃く残しながら、どうにか高校入学。
そして待ってましたの如くバイトが出来る年齢になったので、勉強そっちのけでバイトしまくりました。
僕にとっては第一次バブル時代の到来です。
朝は新聞配達、昼間は学校で寝て、夕方から夜まで様々なバイトをして稼ぎまくていました。
たぶん、当時の友達の周りでは一番ぐらい稼いでいたと思うので、かなり調子に乗ってたのを覚えています。
ある程度は覚悟していたのですが、高校に入ってからまともに勉強もせずにいたため、見事に単位を落として留年決定。
その後も後先考えずに「何とかなるだろう」ぐらいの勢いで高校中退、社会に出て働くことを決意しました。
ai(アイ)の詳しいプロフィール(青年期)
学歴が高校中退だった当時の僕には仕事選びに一苦労。
ほとんどが職人系の仕事。
今までの学生気分も抜けきれず、社会はそんなに甘くないことを痛感。
将来の目標を確実に見失い始めたこの頃、何をやっても長続きしない性格になってしまい、職を転々とするフリーター生活する日々が続きました。
祖父が他界…祖母は親戚に預けられ、強制的に一人で生きていくことになる
高校中退後、フリーターとしてアルバイトを掛け持ちしながら中高時代の友達と遊びまくる日々の中、祖父が他界。
それを機に祖母も親族のもとに預けられることになり、僕は強制的に一人暮らしを始めることになる。
17歳…。
頭の中はまだまだ学生気分だった。
だが、生きていくためにはとりあえずバイト、だけど遊び心も捨て切れない。
そんな日々を過ごすうちに第一次バブル崩壊時代到来。
バイト→遊ぶ→バイト→遊ぶの繰り返しで生活するのがやっとの毎日を過ごしていました。
ちなみに当時の遊びと言ったらカラオケ(当時ようやくカラオケボックスが流行り始めた)、ゲーセン、ドライブなどでした。
ai(アイ)の詳しいプロフィール(成人)
成人を迎えるころになると周りの友人は大学生になったり社会人になったりと環境が変わっていき、少しずつ僕の心にも変化が生まれてきました。
まずは会社員として働くこと
大好きな車を買うこと
もっと広い家に住むこと
などと今まで目標もなくその日暮らしだった生き方を、変えていこうという思いが芽生え始めた頃でした。
知人の紹介で肉屋として働き始める
知人の紹介ということもあり、ここはしばらく頑張ってやってみようという思いで、気が付けば18年もの間、肉職人として働けたことを今にして思うと、いい経験になったと思います。
最初に紹介された肉屋で8年、もっと腕を磨きたいと思い転職して8年、更に転職して2年、そして40歳を過ぎたころに本当に好きなことを仕事にしたいという強い思いから肉屋業から退き、フリーランスとして2018年より働き始めることになりました。
こんな僕でも会社員時代に結婚出来てとても幸せを感じることが出来ました。
子供には恵まれませんでしたが大好きなミニチュアダックスの我が子と暮らせる毎日に心から感謝です。
ですので、今はフリーランスとしてより一層幸せな毎日を過ごしていますが、会社員時代に出会った人々や会社員としての大変さを学び、今をより一層楽しく過ごせることが出来ると感じております。
僕は思います。
人生は「まわりみち」したほうがきっと楽しいです。
もし、今、目標もなく、ただただその日暮らしをしていても「必ず」やりたいことって目の前に現れます。
そして心の声に従って生きてみて下さい。
こんなどーしょもない人生だった僕も、今はこうして毎日たのしい日々を過ごしてます。
そして今を大事に生きてくださいね。
逃げ道を断つ!急がば回れ!人生はまわりみち。