犬と僕。もう⁉真夏日対策‼
令和元年5月26日(日)。まだ5月だよね?
関東地方ではすでに真夏日を記録した今日この頃、愛犬家の皆々様方はいかがお過ごしでしょう?
さすがにもう、日中は暑すぎて散歩に連れていけない愛犬家の方々も多いと思う。
たまにクソ暑いのに、犬をつれて散歩している人をみると、あり得ない気持ちになります。
我が家の愛犬も大の散歩好きなため、暑い日は色々と工夫しながら散歩をたのしんでおります。
とはいえ、5月に真夏日は予想外でした💦我が家の周辺は木々に囲まれているため、少しは暑さをしのげる場所がありますが、日中はさすがに散歩させる気になれません。
ということで、散歩好きの我が家の長男坊は、不満爆発か、今日は朝の4時にたたき起こされました(ノД`)・ネム
5月の朝4時はまだ薄暗く、街の明かりが灯り、空気はひんやり。
日曜日の朝早くから朝んぽしている人もまだ見当たらない。
西多摩地区、多摩川の程近くに暮らす我が家のお散歩コースは、多摩川沿いが最高のお散歩コースです。
まだ月出てるし、薄暗いし(;^ω^)
手元のiPhoneカメラだと愛犬もよくわからないし(笑)
そんなこんなで、今日も真夏日予報なため、朝んぽガッツリ目で。
さすがに朝は薄着だと肌寒い。日中は気温が30度超えだから寒暖の差が激しすぎる(>_<)
そしてこんなにも早く、「真夏日対応」しなくてはならないとは思いもよらなかったです。
SNS投稿もしたように、1時間半がっつり朝んぽしたら1万歩超え(笑)
我が家の愛犬は16歳のシニア犬ですが、まだまだ散歩は現役バリバリです。
とくに涼しければ涼しいほど元気に歩いてくれるので、朝んぽはとても重要です。
あくまでも自論ですが、散歩好きな我が家の愛犬は、いままで大病もなく体も丈夫です。
やはり、散歩は愛犬が健康で長生きするためには絶対に必要だと考えます。
そして環境、これも非常に大事です。アスファルト舗装を歩くより芝生や土の上を歩くこと。
長年、愛犬と散歩し続けて、これだけは絶対に譲れない大事なことです。
特に暑い日のアスファルト舗装での散歩は、体力をかなり消耗しますし、どう考えても足裏が暑いので避けるべきです。
これは愛犬家としてすべての飼い主に、暑い日の日中の散歩を控えていただきたいと思います。
どうしてもって言うんなら、手づくりでも何でもいいからアスファルト舗装に直接触れないように、ペットカートに乗せて移動してほしいと願うばかりです。
我が家の愛犬の真夏日対策は、第一に早めの朝んぽ。
アスファルト舗装より公園などの芝生や土の上を歩くこと。
日中は散歩を控える。または日差しが届かない場所で散歩する。
あとは環境。愛犬の為なら引越す覚悟が必要です。
それぞれ飼い主によって考え方はあると思いますが、我が家はこれからもこれらのことを徹底していこうと思っています。
愛犬といつまでも楽しく健やかに生き生きと過ごす。これが僕の生き方です。
「犬と僕。」過去記事はこちら↓↓
「人生とは 川を流れる小石のようだ。」
孔子は晩年にこう言った。
『人生は川の流れと同じだ。我々は、大河の一滴である』と。
筆者である私はそれに対して似たようなことを想った。
『人生とは 川を流れる小石のようだ』と。
石ころを人間の「人生」に例えてみた。
山地で生まれた石ころ(生命)は、やがて山から転げ落ち、川の流れによって下流へと流されていく。
人生の始まりとはまさに、「転げ落ちる」ことである。
母なる大地から生まれた赤ん坊の石ころはすぐに泣き叫ぶ。
転げ落ちる激しさに、苦しみもがく様を表現するには、「泣き叫ぶ」ことしかできないだろう。
山から転げ落ちた石ころは、やがて川の上流にたどり着く。
まだ幼い「石ころ」は角が立ち、川の流れにうまく乗ることができない。
感情がうまくコントロールすることが出来ずにいる幼い石ころは、様々な障害物にぶつかりながら少しずつ角が取れるようになってくる。
そんな石ころは長い年月をかけて、下流へと流されていく。
上流では清く穏やかな流れの川で、光が川底まで差し込む浅瀬だったが、下流へと流れるにしたがって水深も深く闇がおおくなった。
こうして石ころは流されていくうちに色々なことを学ぶ。
人生とはまさに川を流れる小石のようだ。
川の中をコロコロと転がる「小石」。
時には川岸に打ち上げられ、日差しを目いっぱい浴びながら自然を感じたり、大雨で増水した川に激しくもまれ、思うように進むことが出来ないこともある。
仲間の小石とともに転がっていたと思ったら、いつの間にか転がる仲間もそれぞれの道に進んでいく。
中には、深い溝にはまり、出てこれなくなるものもいる。
小石(人生)とはそんなものだ。
川の流れに身を任せるほかないのかもしれない。
小石は「大海原」を目指して川を流れていく。
小石にとって「大海原」は終着点かもしれない。
終着点である大海に小石は飲み込まれていく。
深く暗い海の底ではもう流されることはないかもしれない。
そして小石は姿を消していく。
いずれまた大地の岩となり、小石として生まれ変わるために。
人生とは「生と死」の繰り返しなのだろうか。
「生」あるものは必ず「死」を迎える。
もしも人生が「生と死」の繰り返しであるのならば、「死」を恐れることはない。
しかし、「生」あるものは「死」を恐れている。
経験したことがない「死」について「不安」を感じるからだろう。
そう、「生」ある今、誰も「死」を経験したことがない。
死ななければ経験できない。
私も「死」についてはさっぱりわからない。
しかしながら、そんな「死」を「生」ある我々が目をそらすのはおかしい。
「死」は必ず訪れる。
そして私が個人的に思うに、「死」して我々は必ずなんらかの形で生まれ変わっているはずである。
今の日本人は、死後に「火葬」されて骨壺に収まるのが当たり前となっているが、本来なら小石のように、大地に還るのが本来の「生」あるものの姿であると考える。
大地に還ることで新たな「生」となり循環するだろう。
我々はいずれ「小石」になるかもしれない。
そしてこの地球の一部として生まれ変われることに喜びを感じることで、更にあらたなる生命へと生まれ変わる。
こうしてまた、「小石」から「人」へと生まれ変われるのかもしれない。
私は想う。
地球(ほし)そのものが我々の「生命」そのものなのではないだろうか。
そんな私たち自身がどうして、この地球(ほし)を汚すことができるだろうか。
一歩引いて物事を、世の中を、見てほしい。
この地球(ほし)そのものが我々なのだと私は想う。
参考書籍
【書評】小川糸著『ツバキ文具店』を読み終えた感想(まとめ)
数回に分けて、筆者独自の目線で感想を述べてきた、【書評】小川糸著『ツバキ文具店』。
本書の構成は季節ごとに分けられており、物語は|夏|にはじまり、|秋|、そして|冬||春|と、四部構成となっております。
そして筆者は|夏|と|秋|をそれぞれ読み終えたところで、簡単に感想を述べさせていただき、すっかり『ツバキ文具店』の虜となり、舞台となった鎌倉まで足を運び、聖地巡礼まで行いました。
その後、|冬||春|まで一気に読み終え、『ツバキ文具店』を完読いたしましたので、今回も筆者独自の目線で、簡単にまとめ記事を書いてお届けしようと思います。
鳩子の代書屋としての成長と共に、鳩子の周りの人間関係にも様々な変化が起きた、『ツバキ文具店』の後半章
過去記事はこちら↓↓
前半章である|夏||秋|では、鳩子の代書屋としてのスタートと、日々成長していく姿が描かれていた。
幼少期から代書屋の後継ぎとして、祖母に厳しく育てられた結果、鳩子の代書屋としての才能を開花させていきます。
鳩子の家庭環境は、決して良いとは言えないものだったかもしれないが、それは目に見える部分だけであって、鳩子は祖母の死後、本当は愛されていたんだということに気づく。
誰でもそういう経験はあるだろう。身近にいる人ほど目に見える部分しか見ていないと、肝心なところを見逃してしまい、心がすれ違ってしまうこと。
筆者自身も、鳩子の家庭環境によく似たところがあるので、どうしても他人事のように思えなかった、そのため、読み進めるうちに主人公の鳩子と、僕の人生とを重ね合わせて読んでいたように今想う。
ご近所付き合いが密になっていく後半章
鳩子(通称:ポッポちゃん)は、ツバキ文具店の後継ぎとして成長する中、次第にご近所づきあいも密になっていく。
中でも、お隣に住む「バーバラ婦人」とは、年は離れているものの、無二の友といっても良いほど打ち解けていく。
また、以前はあまり好きではなかった「男爵」とは、代書を請け負って以来、少しずつだが打ち解けてきて、後半章ではすっかり心通わせる良き友人関係になった。
その他、パンティー(楠帆子)やQPちゃん(守景陽菜)、QPちゃんの父親の守景蜜郎とも親交を深めていく。
物語が進むにつれて、それぞれの繋がりが密になり、思わぬ展開への発展していくのも、この物語の面白みだと筆者は痛感しました。
【書評】小川糸著『ツバキ文具店』を読み終えた感想(まとめ)
ツバキ文具店には、様々な悩みを抱えた代筆依頼のお客様がお見えになります。
そして代筆を請け負う「鳩子」も、ただ単にきれいな代筆を行うばかりではなく、依頼者の気持ち、また「手紙」を受け取る側の気持ちになって丁寧な仕事をこなしていく姿に筆者も心惹かれました。
手紙とは、出す側と受け取る側それぞれの想いが伝わる素晴らしものです。
今どきはメールやLINEなどの通信手段が発達して、手書きの文章を送ることは稀ですが、手書きで書いた文面というのはいつの時代でも心温まるものがあります。
筆者も、これを機に手書きの文章を書いてみようと心の底から思いました。
それも、シャープペンシルやボールペンなどではなく、万年筆などちょっとこだわったもので、手紙を書いてみたいなと本書を読んでつくづく感じました。
心に残る文章を万年筆で書く。いいかもしれませんね。
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最後に
『ツバキ文具店』
本書は一旦、幕を閉じますが、ツバキ文具店のその後を描いた作品、『キラキラ共和国』へと物語は続きます。
筆者は、現段階ではまだ、『キラキラ共和国』は読んでいませんが、是非とも読んでみたい作品です。
ご興味があれば是非、ツバキ文具店の続編、『キラキラ共和国』もあわせてご覧になってみて下さいね👍
ホリデー快速鎌倉号に乗って古都鎌倉へ
ゴールデンウイーク10連休の最終日。筆者である僕はなるべく出かけずに、近所で過ごすということにした。
有言実行どおり、このゴールデンウイークは愛犬との時間を十分にとり、自宅の近くで過ごしていた。
また、大好きな読書の時間も十分確保した。そこで僕はめったに読まないジャンル、長編小説の『ツバキ文具店』を手にした。
上の過去記事にも書いたが、今さらながら『ツバキ文具店』にドハマりして、舞台の鎌倉に行きたいという思いに駆られた。
ゴールデンウイーク期間中の臨時列車「ホリデー快速鎌倉」に乗って。
筆者、ホリデー快速鎌倉に乗るのは初めてだ。しかも、直前までゴールデンウイークの「鎌倉」に行くのを迷いに迷っていた。
なぜなら人混みが大の苦手である。しかし、ホリデー快速鎌倉に乗れば私の住まいから鎌倉までかなりの時間を短縮できる。
短縮したぶん、鎌倉散策を満喫できるのだからと、2019年5月6日月曜日、意を決して自宅を飛び出して駅に向かっていた。
こうなったら行くしかない!出不精の嫁と愛犬を残し、一人鎌倉旅へと向かったのである。
鎌倉は初めてではないが、今回の目的は『ツバキ文具』に出てきた場所を巡る、聖地巡礼のようなもんだが、日帰りのため行ける場所は限られる。
物語の中に出てくる、パラダイス・アレイの「あんぱん」がとりあえず食べたい。
そして鎌倉といったら海は外せない。こちらも物語に出てくる「材木座海岸」を目指してみようと思った。
当日の朝、ダメもとで駅に向かい、乗車券を手に入れる。
著者自身、当日の朝、しかもホリデー快速鎌倉に乗り込もうとする僅か1時間前に、乗車券を買おうとしている。
「もし、ここで満席だったらあきらめよう」と心の中で思った。
だってゴールデンウイークだもん。無理かもしれないとは思ったが、何となく行けそうな気がしてたから最寄り駅まで来たんだけど…。
予想に反して、意外と空席があった。もしかしたらゴールデンウイーク最終日は、「穴場」だったのかもしれない!
そんなことを想いつつ、すべての迷いが打ち消され、ゴールデンウイーク最終日は、「いざ鎌倉へ!」行くことになった。
西国分寺から横浜まではノンストップ!ホリデー快速鎌倉は快適だった。
ホリデー快速鎌倉とは、西国分寺駅で初顔合わせとなる。
筆者、電車にはあまり詳しくもなく、特に興味があるわけでもないので、「ふ~ん。こんな感じか~」と心の中でリアクションする。
極端に言えば、電車は移動手段の一つという認識しかない。しかしながら、その車内は十分に快適だった。
↑↑おっさん、それなりにテンションMAXであった。こんな感じで大好きな「鎌倉」に行けるんだったら、もっと電車移動を生活に取り入れようと思った。
車内でドハマりした、『ツバキ文具店』を読みながら、古都鎌倉の素晴らしい景色を心の中でイメージする。
と思ったけど、普段あまり乗らない列車からみる外の景色に夢中になった。筆者はどこへ行くにも「車派」だったので、全てが新鮮だった。
鎌倉駅の一つ手前、「北鎌倉駅」で下車する。
北鎌倉駅。めちゃくちゃ素敵である。鎌倉駅と違って自然豊かである。人混みもなく、数件のお店が駅前にあるくらいで、のどかで静かだ。
鎌倉散策を楽しむために、北鎌倉駅での下車を選んだのは正解だと思った。人混みが苦手な筆者にはもってこいの場所である。
もちろん、ここから目的地のパラダイス・アレイや材木座海岸はかなり遠い。しかし、それも旅の醍醐味である。
まあ、最悪の場合、タクシーもバスも沢山走っているので、いざというときは乗ってしまえばいい。一人旅は自由で気ままが一番である。
寄り道しながら歩く鎌倉は僕の心を心底癒してくれた。
本当は寄らずにスルーしようと思っていた鶴岡八幡宮。鎌倉でも一大観光スポットだから当然、観光客もハンパない。
北鎌倉から歩いていくと横目に、鶴岡八幡宮がある。やっぱりここはスルー出来ない。
結局、ここで参拝しないと後々後悔しそうなので、ここはしっかりと鎌倉に来れたことに対して感謝し、家族・友人・知人の健康と豊かさを願った。
やはりここは良いエネルギーを感じるとともに、ふと、あることが凄いと思った。
ゴミどころか、枯れ葉すら落ちていないことに気が付いた。春の花の花びらは池に浮かんでいたが、それは逆に美しい。
今回は改めてこの地が、この場所が繁栄し続けるために、かなりの努力が必要だということが垣間見えた。
目的地までそれなりに歩いたけれど、鎌倉の街並みは飽きのこない素晴らしい地域だ。
▲パラダイス・アレイは鎌倉駅ほど近くの、鎌倉中央食品市場内にある。
目的地であるパラダイス・アレイも材木座海岸も、北鎌倉駅から歩けば結構な距離がある。しかし、その道中は飽きのこない街並みであった。
自然があり、日帰りでは回りきれない神社仏閣、素敵なお食事処にお土産屋もある。そして海。海があるのだ。
今回、訪れたこの日は、曇り空で日差しを感じることは出来なかったが、おかげで暑くもなく寒くもない過ごしやすい1日だった。
材木座海岸で食べるパラダイス・アレイのあんぱんは絶品だった。わざわざこの景色を見ながら、あんぱんを頬張るおっさんは他におらんだろう(笑)
そんな経験が出来るのも、思い付きの一人旅の醍醐味である。
もう本当に帰りたくなくなっちゃうんだよね。この景色見てると。
とはいえ、夜になれば海なんてどうせ見えなくなるから景色もクソもないわけで、そうなる前にもちろん帰るけどね。
今日はたっぷり歩いたので、帰りは海岸前から躊躇なくバスを選択。帰ったらまた、愛犬と散歩に行くから体力は温存しないとね👍
【書評】小川糸著『ツバキ文具店』を読んでみた|秋|
神奈川県鎌倉市を舞台に、家業であるツバキ文具店の十一代目になった、主人公の鳩子(通称:ポッポちゃん)。
そんなポッポちゃんが、家業であるツバキ文具店の代書屋としての生きざまを描いた本作品は、季節ごとに文章が綴られており、鎌倉の季節感を垣間見ることが出来ます。
筆者は本作品を手に取って読み始めたばかりだが、第一章ともいうべき|夏|を読み終えたころには、すっかりと本作品の虜になっていた。
そして今回は第二章|秋|を読み終えたところで、引き続き【書評】を書き加えたいと思います。
「代書屋」として先代の意志を受け継ぎつつ、才能溢れる鳩子の代書が人々の心をわしづかみにする
前回記事の『【書評】小川糸著『ツバキ文具店』を読んでみた|夏|』をブログに書き終えた翌日、筆者はすぐさま|秋|を読み進めた。
文中の季節は夏から秋への変わり、舞台である鎌倉の季節感も織り交ぜながら、鳩子(ポッポちゃん)が、家業のツバキ文具店の代書業をこなしていく様を、みごとに描いている。
代書屋と聞くと、筆者である僕はあまりなじみがないせいか、どういった仕事なのか始めピンとこなかったが、文中にもあるように「文字に関するヨロズ屋」というフレーズが頭に残り、読み進めるほどにその言葉がだんだんと理解できるようになってくる。
筆者自身、字を書くことに自信がなかったため(字が下手である)、筆不精だ。
しかも、携帯電話の普及により、連絡手段といえばメールやLINEなど、全てがインターネット経由で済ませられる時代となった今、代書屋という存在自体、筆者自身も利用したことが無い。
ツバキ文具店の第二章といえる|秋|には、筆不精なお客が舞い込んでくる
『代書屋』
この章を読み終えて筆者がまず思ったのは、鳩子のような代書屋に出会い、なんなら代書を依頼したいと思えるようになった。
筆者である僕自身も、先にお話したように、「筆不精」であり、字もかなり下手くそである。
なので、今までも心のこもった手紙を書いて送りたいと思ったことが幾度かあったが、その都度書いては破棄した記憶がある。
もし、鳩子のような代書屋がいたら、間違いなく頼んでいたと思う。今回の章はそんな場面が登場する。
「代書屋」と聞くと、事務的な文章のイメージしかないが(実際の代書屋の多くはそうだろうが)、心の奥底の想いを形にして、代書してくれる鳩子の才能あふれる文章と思いに、つくづく私の心が鷲掴みされていくのがわかります。
『ツバキ文具店』の|秋|を読んでみて本当に大事なことに気づく
本作品を読んでいるうちにふと気づいたことがある。
それは、「心の声」は脳を介して手に伝わり、「想いを形(文章)」にすることで、自分が今、本当に何を考え何を想っているのか、ということを認識できるということだ。
普段、日常生活を送っていながら「心の声」で色々な想いを巡らせてはいるけれど、それを中々、表に出すことはないと思う。
ましてそれが、目の前にいる相手に対しての批判や苛立ち、怒りなどの想いだったら尚更、言葉にすることは出来ないだろう。
そういったものが「頭の中」に蓄積されていったらどうだろう……。
積もり積もったマイナスの感情がストレスとなり、頭の中を傷つけることだって考えられる。
そんな想いが爆発する前に発散する方法といえば、やはり「書く」という行為が大事であると筆者は思う。
手はよく「第二の脳」という。簡単に言うと、脳は指先に対して常に「指令」を送っているからだ。
書くという行為は心の声を発散するにはもってこい⁉
このような考えには賛否両論あるかもしれない。
だが、僕は常日頃から自分用のノートを持ち歩き、心の声を形にしている。
それが効果的なのは自分自身ではわかっているつもりだか、僕は学者でも哲学者でもないため、「これこれこうだからこうだ!」というつもりは毛頭ない。
しかし、僕にとってこれは効果がある。常に実証済みなのでおすすめしたいが、ここであえて言うことでもないので、今回は控えさせていただく。
【書評】小川糸著『ツバキ文具店』|秋|を読んでみて
少し話が脱線してしまったが、本作品から学ぶことは非常に多いと思う。
しかもそれは十人十色、様々な想いを感じることが出来ると思う。
一つ言えることといえば、「初めに言葉ありき」という聖書の言葉がしっくりくる。
初めに言葉があり、それを文章という形にして、想いを綴り、相手に贈る。
ここに登場してくる人物は、相手を想いながら(気遣いながら)、代書屋である鳩子に自分の言葉である想いを預けていく。
それが文章となり、相手に届く。
『代書屋』
人と人を繋ぐ大事な架け橋となる素晴らしい仕事である。
最後に
今回は、【書評】小川糸著『ツバキ文具店』を読んでみた|秋|の感想と筆者の想いを語らせていただきました。
次回は第3章にあたる|冬|を読み終えたのち、【書評】小川糸著『ツバキ文具店』を読んでみた|冬|と題して感想をお届けしたいと思います。
本日は筆者の個人的な感想と思いにお付き合いいただきましてありがとうございます。
秋川ファーマーズセンターで東京牛乳のソフトクリームを食す!
2019年も5月になり、じわりじわりと気温も上昇し、すでに夏日を記録する日もちらほら出てきた東京多摩地区。
そんな日はやっぱりアイスクリームが旨い!そしてソフトクリームを見かけると無性に食べたくなる。そう思いません?
筆者はそう思います!ソフトクリームが売ってると、ついつい食べたくなって買っちゃうんです。
そんな誘惑に負けつつ、今日もソフトクリームが美味しく感じられる暑い一日でした。
秋川ファーマーズセンターで買える東京牛乳のソフトクリームは、ほのかな甘みと牛乳のコクを持ちながらさっぱりとした後味
まず、「秋川ファーマーズセンターって?」という方がほとんどだと思います。
秋川ファーマーズセンターとは、東京都で最大規模の売り場面積を誇る農産物直売所です。
いうなれば「道の駅」のような感じになっており、地元の農産物が販売されています。
場所は東京都の山側、あきる野市です。周囲を畑に囲まれ、東京都とは思えないほど自然豊かな場所にあります。
筆者である僕は3年ほど前に、埼玉県からこの「あきる野市」に引越してきました。
山々に囲まれたあきる野市は、東京に住んでいることを忘れさせてくれるほど自然豊かで、最高に環境のよい素晴らしい街です。
そんな場所だからこそ、この土地で採れた農産物は新鮮でおいしいと評判が高く、秋川ファーマーズセンターは地元の方に大変愛されている直売所なんです。
そもそも東京牛乳とは?東京多摩地区の酪農家から集乳し、東京都内にある工場で生産された「made in tokyo」
東京牛乳は酪農家から製造工場まで、一貫して「東京都産」です。
このことからも東京土産として購入される方も多いが、一応、販売地域は限定されています。
東京都内の百貨店やスーパーマーケット、一部のコンビニエンスストアなど、もちろん、秋川ファーマーズセンターでも手に入れることが出来ます。
製造工場があきる野市の隣「日の出町」にあるため、あきる野市では比較的手に入れやすい商品となっています。
東京都には牧場も東京都酪農業協同組合もあるんです!
意外に思われるかもしてませんが、東京都には酪農牧場はあります。
そして東京都酪農業協同組合があり、地産地消である「東京牛乳」が毎日のように生産されています。
残念ながら23区には酪農牧場が僅か1か所を残すのみとなりましたが、多摩地区にある酪農牧場は「東京牛乳」を日々、生産販売し続けるために日夜努力を重ね、地産地消で安全安心な東京都産牛乳を生産しています。
そんな東京牛乳のソフトクリームが頂けることに深く感謝し、貴重な一品をもっとじっくりと味わいながら食べればよかったと感じた今日この頃です。←真面目か!(笑)
秋川ファーマーズセンターで東京牛乳のソフトクリームを食す!(まとめ)
ここ、秋川ファーマーズセンターでは東京牛乳ソフトクリームはもちろん、東京牛乳、東京牛乳ラスク、東京牛乳サブレ、東京牛乳バウムクーヘンなどが販売されています。
商品画像提供元はこちら↓↓
最後に
地元民に愛されている農産物直売所「秋川ファーマーズセンター」。
もし、あきる野市の観光スポットでもある、「秋川渓谷」にお出かけの際には、途中で秋川ファーマーズセンターに寄って、一度、東京牛乳ソフトクリームをご賞味してみて下さい。
また、東京牛乳は東京土産としても最適ですので、興味のある方は是非とも、大自然を満喫できる「あきる野市」へお越しください。
東京都心にお住いの方でしたら、軽井沢まで行かなくても、避暑地として軽井沢気分を少し味わうことが出来ますので、夏の秋川渓谷はおすすめです。
ちなみに軽井沢のようなショッピングモールは、一切ございませんのでご了承くださいませ<(_ _)>(イオンモールなら途中にございます)
過去記事ですが、以下に秋川渓谷の紹介記事もありますので良かったらあわせて読んでみて下さい↓↓
次回は秋川ファーマーズセンターで毎年開催されている、夏の「とうもろこしまつり」についてご紹介しようと思います(7月上旬予定)。
犬と僕。2019年のゴールデンウイークは愛犬とのんびり過ごす。
2019年は新時代「令和」が始まり、世間一般では10連休というゴールデンウイークの中、筆者はいつも以上に愛犬とのんびりと過ごしています。
毎年のことながら、ゴールデンウイークといえば、どこ行っても混雑するというのに、それでも懲りずにお出かけする方たちを横目に、僕はただただゴールデンウイークを愛犬と散歩を楽しんでいます。
2019年のゴールデンウイークは愛犬とのんびり過ごすと決めた
ここ最近、自身のInstagramでも投稿しているように、今回のゴールデンウイークは「愛犬とのんびり過ごす」週間にしています。
愛犬はどこか遠くへ遊びに行きたいとはもちろん言わない。
何だったら近所の公園でのんびり過ごすほうが、愛犬にとっても嬉しいのだろう。
そして我が家の愛犬は朝が早いので、夜が明け始めると僕を起こしにくる。
寝ている僕の頬を鼻で「ツンツン」してくるのだ。それがちめたい(冷たい)のである。
愛犬と過ごしていると、ついつい言葉も赤ちゃん言葉になってしまう。
いいおっさんがみっともないが、嫁さん以外、誰も見ていないので別に構わないと思っている。
愛犬とのんびり過ごすこと。それは意外と発見の多い充実した時間の過ごし方だった。
このゴールデンウイーク期間中は愛犬と普段以上に散歩を楽しんでいる。
まぁ、犬たちはどう思っているかわからないが、時間をたっぷりと使い、気ままに散歩を楽しませてもらっている。
犬たちより飼い主である僕が楽しんでいることは間違いない。
「今日はこっちの道に行ってみようかな」とか、通ったことのない脇道に入ってみたりと、色々と試みてみる。
すると普段は見かけない草花や公園があったり、意外と素敵な散歩道を見つけたり、民家を改造したお洒落なカフェを見つけたりと、身近にも思わぬ発見があったりする。
「こんなところにこんなのがあったのか!」という新鮮な気持ちが込み上げてくると、近所でありながらとても楽しい時間を過ごすことが出来る。
筆者である僕は、今住んでいる土地に来てまだ3年なので、思わぬ発見がたくさんあり、人混みや渋滞などでストレスを感じることなく、今年のゴールデンウイークを穏やかに過ごせている。
愛犬と過ごす散歩の時間が心に豊かさをもたらしてくれる
人間ってのは「物質的豊かさ」を際限なく求め続けることが出来る生き物です。
犬たちを見ていると、食事を求めること以外で欲求してくると言えば「散歩と遊び」ぐらいなもので、それ以外の物質的な要求をすることはありません。
そんな犬たちには愛情を注げば注ぐほど、とびきり愛くるしい表情や態度を僕らに与えてくれる存在です。
そして愛犬と散歩するということは、とてつもなく贅沢な時間の使いかたであると筆者は考えます。
幸運なことに、時間だけはどんな人にも平等に与えられています。
愛犬との散歩は「物質的豊かさ」を求めるのではなく、「心の豊かさ」をもたらしてくれるとても素晴らしい時間の過ごし方ではないでしょうか。
古都京都には「哲学の道」というものがあります。人は歩くことで思考がまとまるとよく言われています。
「哲学の道」は、春は桜、夏はホタル、そして、秋は紅葉で、すっかり京都の人気の観光スポットとなり、その名は広く知られていますが、明治の頃は周辺に文人が多く暮らしていたことから、最初は「文人の道」と呼ばれていた散歩道です。
その後に、日本を代表する哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)や、その愛弟子であった田辺 元(たなべ はじめ)や三木 清(みき きよし)、そして、彼らが教えた京都大学哲学科の学生たちが、好んでこの道を思索しながら歩いたことから、いつしか「哲学の小径」、「思索の道」、「散策の道」などといった名称で呼ばれるようになり、1972(昭和47)年の地元の人たちの保存運動の一環で、「哲学の道」が正式名称となったそうです。
そのことからも散歩して思想にふけったり、考えたりすることがいかに重要で貴重な時間の使いかたであるかがわかるかと思います。
例えそれが愛犬との散歩であったとしても、歩くことで思考がまとまりやすく、脳や心に良い影響をもたらしてくれることで、心に豊かさをもたらしてくれます。
犬と僕。2019年のゴールデンウイークは愛犬とのんびり過ごす。(まとめ)
せっかくの休日だから、普段いけないようなところいにって、思う存分楽しむのもいと思いますが、ゴールデンウイーク後半は是非とも、近所を散歩して過ごしてみることをおすすめします。
心身ともにリフレッシュしたいなと思うならなおのこと、人混みや渋滞などのストレスから心を解放して、物思いにふけるのもいいと思います。
散歩は金銭的負担も精神的負担も軽く、簡単に心をリフレッシュしてくれます。
考え事をしながら歩いてみたり、普段は忙しくて見逃していた木々や草花にふれてみたり、蝶々や蟻などを観察してみたり、知らない道を開拓してみたり、気になっていたお店に入ってみたりと、意外と見過ごしていた新しい発見をすることが出来ます。
たまには心の中にある「物質的な欲求」にNO!といって、心の根底にある「本当の豊かさ」とは何かに気づくことも大事であると思います。
最後に
とは言いつつ実は僕、内心では今ちょっと、「鎌倉」に行きたい気分なんです←(=゚ω゚)ノオイオイ
あれだけ近所でリフレッシュ!って言っておきながら、ド観光地の「鎌倉」かよ!って話です(笑)
実は昨日(2019年5月2日)から読んでいる長編小説「ツバキ文具店」にドハマりしていて、舞台である「鎌倉」を聖地巡礼してみたいなと考え始めているところです。
まだ全部読んでいないので、ゴールデンウイークは避けて行こうと思っていますが、気分次第では行ってしまうかもしれません(;^ω^)
そうなると、上のブログ記事の内容に説得力がなくなってしまいますので、この場を借りて今のうちにお詫び申し上げます<(_ _)>
以下にツバキ文具店の書評記事を置いておきますので良かったら覗いてみて下さい↓↓
【書評】小川糸著『ツバキ文具店』を読んでみた|夏|
小川糸著『ツバキ文具店』の舞台は神奈川県鎌倉市。
文中の目次構成は|夏||秋||冬||春||の4部構成になっている。
実は筆者である私は、令和元年初日の2019年5月1日に、この作者と本の存在を知った。
本作品はベストセラー作家である、小川糸氏の長編小説である。
▲季刊文芸誌『GINGER L.』(幻冬舎)への連載を経て、2016年4月21日に幻冬舎より刊行された。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小川糸著『ツバキ文具店』との出会いは偶然だった
私が本作品を手にしたのは、令和元年初日の2019年5月1日である。
毎月恒例の神社参拝(おついたちまいり)を済ませた後に、帰り道に立ち寄った本屋さんの「鎌倉特集」というコーナーにさりげなく置いてあったのである。
大國魂神社でのおついたちまいりの様子はこちら↓↓
普段ならスルーしてしまうコーナーだったが、近ごろ「鎌倉」というワードが頭の片隅にあり、何かと鎌倉関連のことに目を向ける日々が続いていたためである。
何気なく手に取った小川糸著『ツバキ文具店』に冒頭からくぎ付けに
筆者である私は普段から小説(特に長編小説)は読まない。
読書はかなり好きなほうだが、好みのジャンルはどちらかというと「哲学」関連が多い。
普段からテレビもあまり見ないため、本作品がNHKでドラマ化されて放送されていたことも知らなかった。
だけど今回は、吸い込まれるように本作品である、『ツバキ文具店』を読み始めていた。
これも何かの縁かと思いながら冒頭の|夏|を読み進めてみる。そう、この作品の冒頭は夏からはじまる。
主人公である雨宮鳩子(通称:ポッポちゃん)が、訳あって家業である、『ツバキ文具店』を継ぐことになる。
物語は主人公が生まれ育った鎌倉市を舞台に、幼いころから家業を継ぐために教育されたことや、反抗期の思い出などを振り返りながら、懸命に生きていく様を描いている。
読み進めていくうちに、古都鎌倉の情景がまぶたに浮かんできて、主人公と一緒にその場を体験しているかのような、そんな感覚さえ覚えます。
小川糸著『ツバキ文具店』の序盤ともいうべき|夏|を読んでみて
まだ読み進めて序盤の|夏|ですが、主人公が人との交流を経て、成長していく様が垣間見えます。
何といっても私が心惹かれたのが、鎌倉の街並みが文中からリアルに頭の中に思い浮かんでくることです。
筆者も何度か鎌倉に足を運んだことがありますが、改めて鎌倉の奥深さを知ることが出来ました。
以前のブログ記事にも何度か書いてきましたが、一生に一度は湘南エリアに住んでみようという思いから、ちょくちょく湘南エリアの「鎌倉」のことが頭の片隅にありました。
今回もそんな思いから、鎌倉を舞台にした本作品に興味を惹かれ、手に取り、読み進めていくうちにドハマりしてしまいました。
海沿いの街「鎌倉」に憧れて
筆者の前回記事はこちら↓↓
筆者は埼玉県生まれで、約40年間を海なし県の埼玉県で過ごしました。
現在は東京都の山側に住んでいますが、未だに海なし県特有の海への憧れがあり、日に日に海沿いの街で暮らす気持ちが強くなっています。
そんな強い思いを、この小説が少し和らげてくれました。
おかげで頭の中で、「鎌倉」での暮らしをリアルにイメージすることができ、海沿い暮らしの事前準備にはもってこいの作品になりそうです。
また、街の風景をイメージ出来ることもさることながら、主人公の成長ぶりや人々との心温まるふれあいなども楽しみであり、今後の展開が益々気になるところです。
最後に
今回は、【書評】小川糸著『ツバキ文具店』を読んでみた|夏|の感想と筆者の想いを語らせていただきました。
次回は第2章にあたる|秋|を読み終えたのち、【書評】小川糸著『ツバキ文具店』を読んでみた|秋|と題して感想をお届けしたいと思います。
本日は筆者の個人的な感想と思いにお付き合いいただきましてありがとうございます。